マジックの歴史 日本では
古くから日本では、神道行事の中に手品があったと言われていますが、娯楽としてのマジックの歴史の始まりは、奈良時代の東大寺建立の頃で、仏教と共に中国から伝わってきたようです。
それは「散楽」と呼ばれ、軽業、曲芸、奇術、踊りなどが行われており、狂言や能などの演芸と同じルーツがあるとされています。最初は宮廷行事の余興として歌などと共に披露され、中には「火を吹く術」や「剣を呑む術」など過激なものもあったそうです。
戦国時代の頃には芸として出来上がっていたといわれています。
マジックは、キリシタン・バテレンの妖術と非難され禁止になった時もありましたが、江戸時代に一気に開花します。日本独自のマジックが多く作り出され、それらは手妻(てづま)や手品と呼ばれました。
そのころお座敷でのショーが流行し、寄席でも開催したようです。手品の解説書も多く発売されていたみたいですよ。
有名なのは塩屋長次郎。呑馬術というもので、西洋より先に「ブラック・アート」を築いていたといわれます。
また、今でも日本の伝統芸能として受け継がれている「水芸」もこの時期に生まれました。
明治時代、西洋文化が入り、さらに日本のマジックは変化します。
「日本近代奇術の祖」とも言われる松旭斎天一は、海外興行をして回ったこともあるそうで、西洋奇術を披露し人気を集めました。
西洋奇術を「洋妻」、手妻など日本のものを「和妻」と呼ぶそうです。
第二次世界大戦時は、大きく影響を受けたようですが、戦後は欧米のマジックが再び紹介され活躍し始めます。
クロースアップ・マジック(テーブルマジック)が流行り、イリュージョンなど大掛かりなマジックもテレビの普及に伴い、人々の視線を集めました。
個人的に思うのですが、十年ぐらいに1度でしょうか、マジックが流行る時があるように思います。